Photo: Koda6029 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.001
小田原征伐の本陣として築かれた関東初の「総石垣造り」
豊臣秀吉は、後北条氏の拠点である小田原城を包囲する際、小田原城から約三キロメートル西に位置する標高262mの笠懸山(かさがけやま)の山頂に、全軍を指揮するための巨大な本陣を建設した。 これが石垣山城である。特筆すべきは、陣城(一時的な軍事拠点)でありながら、黒田官兵衛(孝高)らを動員し、近江国の石工集団「穴太衆(あのうしゅう)」を呼び寄せて、山頂に大規模な「野面積み」の石垣を築き上げたことである。 当時の関東地方の城郭は土塁と空堀を主体とする土の城(後北条流)が一般的であり、巨大な石垣を巡らせた城郭は存在しなかった。 秀吉は、西国で発展した最新鋭の織豊系城郭の技術を関東の地で誇示することで、豊臣政権の圧倒的な財力と動員力を見せつけ、後北条氏に強烈な軍事的圧力を加える意図があった。



