Photo: 柴錬アワー / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.001
荒川の河岸段丘を利用した天然の要害と、北条流築城術
鉢形城は、文明八年(一四七六年)に勃発した長尾景春の乱において、長尾景春が関東管領上杉氏に対抗するための軍事拠点として築いた城を起源とする。 城の北側には荒川の急流が流れ、それに面する部分は高さ十数メートルから数十メートルに及ぶ垂直に近い断崖(河岸段丘)となっている。 さらに南側は深沢川の深い谷が天然の堀を形成しており、地形そのものが極めて攻略困難な要塞であった。 戦国時代後期にこの城に入った北条氏康の四男・北条氏邦は、この天然の要害に後北条氏特有の高度な土木技術(築城術)を導入した。 石垣を用いずに関東ローム層の土壌を削り出した巨大な空堀と土塁を縦横に巡らせ、城の出入り口には敵の直進を物理的に阻む「馬出(うまだし)」や「三日月堀」を多数配置した。 地形の制約と精緻な土塁設計が融合したことで、北関東における後北条氏の絶対的な防衛拠点が完成したのである。



