月山富田城

がっさんとだじょう

月山富田城

Photo: Kuma83 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

月山富田城|毛利元就ですら力攻めを諦めた日本屈指の難攻不落城。最後に城を落としたのは、兵器ではなく「疑心暗鬼」という恐ろしい心理戦だった。

月山富田城を、毛利元就ですら力攻めを諦めた日本屈指の難攻不落城。最後に城を落としたのは、兵器ではなく「疑心暗鬼」という恐ろしい心理戦だった。という切り口から読み直します。一般的な城の概要を並べるのではなく、この城でしか成立しない出来事と、現在の姿とのずれを入口にします。

基本情報

名称
月山富田城
読み
がっさんとだじょう
別名
月山富田城
所在地
島根県安来市広瀬町富田
築城時期
14世紀頃から整備
築城者
佐々木氏・尼子氏
現在の城郭
山上の曲輪・石垣・土塁が残る城跡として整備されている
文化財・指定
国指定史跡・日本100名城
天才・毛利元就も絶望した「絶対防衛線」Photo: by Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

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天才・毛利元就も絶望した「絶対防衛線」

月山富田城(がっさんとだじょう)は、標高約190メートルの山全体を城塞化した、中国地方における最強の山城でした。 1565年、中国地方の覇者である毛利元就が数万の大軍でこの城を包囲し、総攻撃を仕掛けます。しかし、複雑な地形で守られた城の防御は鉄壁であり、毛利軍は大きな損害を出して敗退しました。「力攻めでは絶対に落とせない」。そう悟った元就は、戦術を根本から切り替えます。

恐るべき心理戦「内部崩壊の誘発」

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恐るべき心理戦「内部崩壊の誘発」

元就がとったのは、兵糧攻め(食料補給の遮断)と並行した「調略(心理戦)」でした。 城から投降してくる兵士には食事を与えて優遇する一方で、城主である尼子義久の耳に「城内の有力な武将が、毛利に寝返ろうとしている」という偽の情報を執拗に流し込みました。飢えと疲労で極限状態にあった義久は疑心暗鬼に陥り、あろうことか自らの最も優秀で忠誠心の高い家臣たち(宇山久兼など)を「裏切り者」として自らの手で処刑してしまったのです。

「七難八苦」を祈った山中鹿介

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「七難八苦」を祈った山中鹿介

城主が味方を殺したことで、城内の士気は完全に崩壊しました。難攻不落の要塞は、外部からの攻撃ではなく、内側からの不信感によって自滅し、ついに開城(降伏)を迎えたのです。 この滅亡した尼子氏を再興させるため、三日月に向かって「我に七難八苦(あらゆる苦難)を与え給え」と祈り、生涯をかけて毛利軍と戦い続けたのが、悲劇の英雄・山中鹿介(やまなかしかのすけ)です。強固な石垣よりも、人の心を結びつける信頼こそが城の最大の防御であることを物語る歴史の舞台です。

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