47 PREFECTURES / NAGASAKI

長崎の裏側

海の向こうから届いた文化と、今も街に残る歴史の痕跡。

INTRODUCTION

異国の窓口だけじゃない。
長崎には、意外な裏側がある。

扇形の人工島、秘密結社の石柱、戦争の痕跡が残る街。歴史に名を残す長崎の風景には、よく知られた物語とは違う一面がある。海と島々を巡りながら、その意外な裏側を歩いてみよう。

01 / 長崎市・出島

出島は、最初からオランダ人のために造られたわけではなかった!

出島といえばオランダ。しかし、この扇形の島に最初に住んだのはポルトガル人だった。

1636年、幕府は長崎の町に暮らしていたポルトガル人を出島に移した。ところが1639年にポルトガル船の来航を禁止すると、出島は住む人を失う。1641年、今度は平戸のオランダ商館を移転させた。

出島がオランダの窓口になったのは、完成から5年後。日本史でおなじみの光景は、幕府の方針転換から生まれた。

02 / 長崎市・浦上

長崎への原爆投下は、目標が二度変わっていた

1945年8月9日。原爆を積んだB29が最初に向かったのは長崎ではなく、小倉だった。

投下目標の選定はその前から変わっていた。春には京都や横浜も候補に入り、7月25日の投下命令では広島・小倉・新潟・長崎の4都市が指定された。8月9日の第一目標は小倉。しかし上空を覆う煙や雲で目標を確認できず、機体は第二目標の長崎へ向かった。

長崎市内で当初の照準点に指定されていたのは、中島川に架かる「常盤橋(ときわばし)」から「賑橋(にぎわいばし)」付近。商業施設が集まる市の中心部だった。ところが長崎上空も厚い雲に覆われ、当初の照準点を確認できなかった。燃料も残り少なく、爆撃機には目標を探し続ける余裕がなかった。

そのとき、雲の切れ間から市北部の工業地帯がわずかに見えた。三菱製鋼所や三菱兵器製作所が集まる浦上地区だった。爆撃手はそこを目標に原爆を投下した。1945年8月9日午前11時2分、原爆は目視された工業地帯よりさらに北側の松山町上空約500mで炸裂した。

候補都市の変更、小倉から長崎への転進、そして市中心部から浦上への照準点のずれ。何度も目標が変わった末に、原爆は浦上の街を壊滅させた。

03 / 大村市・長崎空港

世界初の本格海上空港は、長崎にあった!

長崎空港へ降り立つ飛行機の下には、かつて人が暮らす島があった。

大村湾の箕島には田畑と集落があり、漁業や農業を営む人々の暮らしが続いていた。空港の建設に伴って住民は移転し、島は大きく造成された。1975年、海上に滑走路を持つ長崎空港が開港する。

現在の航空写真では、海の中に長い滑走路が伸びている。かつての島の輪郭を探すのは難しいほど、風景は変わった。

04 / 長崎市・グラバー園

グラバー園に残る、フリーメイソンの石柱の謎

グラバー園の一角に、コンパスと定規を組み合わせたような印が刻まれた石柱がある。フリーメイソンの象徴として知られる意匠だ。

石柱は、かつて長崎の外国人社会で活動したフリーメイソンのロッジにゆかりがあるとされる。幕末から明治にかけての長崎には、英国をはじめ各国の商人や船員が集まり、貿易だけでなく社交クラブや結社の文化も持ち込んだ。

グラバー園を歩くと、西洋建築の華やかさに目が向く。だが足元の小さな石柱にも、国際港・長崎に集まった人々の知られざる足跡が刻まれている。

05 / 生月島・五島列島

禁教が終わっても、教会に戻らなかったキリシタンたち

明治になってキリスト教の禁制が解かれた。それでも、教会に戻らなかった人々がいた。

禁教の時代、生月島や五島列島では、家ごとに祈りの言葉や儀礼を受け継いできた。生月島に残る「納戸神」は、その信仰が生活の内側にあったことを示す。祭具や聖なるものを納戸に安置し、家族と地域のつながりの中で守ってきた。

禁教が解かれた後、カトリック教会に合流した集落もあれば、先祖伝来の祈りを続けた集落もあった。同じ信仰から出発した人々が、異なる道を歩んだ。

佐世保市・戸尾市場(とんねる横丁)の防空壕を利用した店舗
写真:佐世保市オープンデータ / CC BY 4.0 / 出典・ライセンス
06 / 佐世保市・とんねる横丁

戦争中の防空壕が、そのまま商店街になっていた!

佐世保の戸尾市場には、岩壁に口を開けた穴の中で商売をしてきた店が並ぶ。商店街の名は「とんねる横丁」。

店先のシャッターを上げると、奥にはコンクリートで整えられた横穴が続く。この場所は戦時中に掘られた防空壕だった。戦後、店を構える場所を求めた人々が、その空間を使い始めた。

空襲から身を守るための穴が、魚や野菜を売り、日々の買い物をする場所になった。佐世保では、戦争の遺構がそのまま暮らしの一部になった。

07 / 長崎市・山王神社

原爆で半分を失った鳥居が、今も立ち続けている!

長崎市の山王神社には、片脚だけで立つ鳥居がある。最初から一本で造られたわけではない。

1945年8月9日の原爆で、鳥居の片側は吹き飛ばされた。残った柱と笠木が、崩れずに立ち続けた。石に残る傷と、失われた半分の空間が、爆風の強さを物語る。

周囲の町が変わっても、この鳥居の姿は変わらない。長崎の被爆を伝える場所の一つとして、今も訪れる人を迎えている。

08 / 佐世保市・針尾送信所

佐世保にそびえる3本の巨大無線塔、その正体とは?

佐世保の海を見下ろす丘に、高さ約136メートルの塔が3本立っている。まるで巨大な鉛筆を地面に突き立てたようだ。

旧佐世保無線電信所、通称・針尾送信所。完成は1922年。3本の鉄筋コンクリート塔を三角形に配置し、長い波長の電波で遠くの艦船と通信した。100年以上前の施設とは思えない大きさだ。

塔の足元に立つと、その高さがよく分かる。かつて海軍の通信を支えた構造物が、現在は佐世保の空にそのまま残っている。

09 / 佐世保市・九十九島

九十九島は、実は99個ではなかった!

九十九島と書くのだから、島は99個――と思ったら大違い。佐世保の九十九島は、一般に208の島々として紹介されている。

九十九という言葉には、文字どおりの99だけでなく「数え切れないほど多い」という意味がある。小さな岩礁まで点在する海を前にすると、昔の人がその名を付けた気持ちも分かる。

展望台から見えるのは、青い海を埋める緑の島影。数字を知ってから眺めると、九十九島の名前がますます面白くなる。

10 / 長崎市・唐人屋敷

鎖国中の長崎には、中国人を集めた巨大な屋敷があった!

江戸時代の長崎には、外国人の居住区が二つあった。オランダ人の出島と、中国人の唐人屋敷である。

中国船による貿易が盛んになると、幕府は1689年、来航した中国人を集めて住まわせる唐人屋敷を設けた。周囲を囲まれた広い敷地には住居や生活施設があり、商人たちはここを拠点に交易に携わった。

出島が海に突き出した人工島だったのに対し、唐人屋敷は町の中に造られた囲い地。同じ長崎でも、幕府は外国人の居場所を別々に管理していた。

BORN IN NAGASAKI

実は長崎生まれ!

ジャパネットたかた

佐世保のカメラ店から全国的な通販企業へ。

リンガーハット

長崎の飲食事業をルーツに全国展開したちゃんぽんチェーン。

濵かつ

長崎で誕生したとんかつ専門店。

三菱重工業

長崎造船所が三菱の造船事業の原点となった。

文明堂

長崎創業のカステラの老舗。

福砂屋

1624年に長崎で創業したカステラの老舗。

ハウステンボス

佐世保で開業したオランダの街並みを再現したテーマパーク。

チョーコー醤油

長崎の醸造文化に根差した調味料ブランド。

庄屋

佐世保地域から広がった和食レストラン。

波佐見焼

長崎県波佐見町で発展し全国へ流通した日用陶磁器。

トルコライス

長崎で親しまれる洋食の盛り合わせ。発祥には諸説ある。

佐世保バーガー

佐世保で発展した手作りハンバーガー文化。

JAPAN NO.1

長崎の全国1位

全国1位
島の数
1,479島(2023年公表)

国土地理院の計数。従来の971島とは集計方法が異なる。

全国1位
アジ類の漁獲量
41,509トン(2024年・要原表照合)

全国屈指のアジの産地。公開前に統計表と全国順位を再照合。

全国1位
養殖フグの収穫量
全国1位(2024年・要原表照合)

「フグといえば下関」の印象と異なる養殖の産地。

※採用済みのランキング項目。2024年の漁獲・養殖値は公開前に原統計表と照合してください。

TRIVIA

長崎の小ネタ15選

No.小ネタここが面白い
01長崎の精霊流しは爆竹だらけ!精霊船が進む街に爆竹が鳴り響く、にぎやかな送り行事。
02長崎くんちにはオランダ船と中国の龍が登場諏訪神社の神事に、異国文化を取り込んだ奉納踊が登場する。
03長崎のミルクセーキは飲み物ではない氷を細かく砕いて作り、スプーンで食べる店が多い。
04オランダ坂の「オランダ」は国籍を問わなかった当時の長崎では西洋人を広く「オランダさん」と呼ぶことがあった。
05カステラの底のザラメが好き!底に残るザラメの食感を楽しむ人が多いが、商品によって製法は異なる。
06長崎の皿うどんにはソースをかけるウスターソースを加える食べ方が根付いている。
07長崎の墓石には金色の文字が多い墓碑銘を金色にする習慣が見られる。地域や墓地によって差がある。
08長崎市は自転車に厳しい街坂と階段の多い地形で、移動には徒歩や交通機関が重要になる。
09九十九島は99個ではない!佐世保の観光で知られる九十九島は208島と数えられる。
10眼鏡橋を造ったのは中国から来た僧侶1634年、黙子如定が架橋したと伝えられる。
11オランダ商館は出島より先に平戸にあった1609年に平戸で開設され、1641年に出島へ移された。
12島原には平成になって生まれた山がある雲仙・普賢岳の噴火活動で平成新山の溶岩ドームが形成された。
13天草四郎には埋蔵金伝説がある黄金の十字架などの財宝伝説があるが、発見の証拠は確認されていない。
14河童のミイラは本物?河童の遺物と称される伝承がある。生物学的な証拠という意味ではない。
15対馬から韓国・釜山が見える日がある天候・視程が良ければ朝鮮半島を望めることがある。
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